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精霊の舞、継ぐ者たち ⑤

last update Last Updated: 2025-04-01 10:16:57
 リノアの眉がかすかに動く。クラウディアはゆっくりと頷いた。

「ああ、だがその意味を完全に解き明かした者はいない。ただ、私が幼かった頃、一度だけ森が弱ったことがあった。その時、人々は村を護るため儀式を行い、結果的に森は持ち直した。しかし……今回の異変はあの時とは何かが違う。より深い、より根源的な力が関わっているような気がしてならない」

 クラウディアの言葉は広場の静寂の中に染み渡り、リノアとエレナの背筋を冷たいものが這うように震わせた。

「根源的な力?」

 リノアの問いかけに、クラウディアの表情が一瞬だけ険しくなった。彼女は低く静かな声で応えた。

「そうだ。生命力を凌駕した、もっと古く深い力……」

 クラウディアの視線が遠くの森へと向けられる。その瞳には、一種の畏敬と懸念が混ざり合っていた。

「森が泣く──その時、私たちは選ばなければならない。自然と調和する道を進むのか、それとも破壊の道を辿るのか」

 クラウディアの言葉に込められた重みが、リノアとエレナの胸に深く響いた。

「つまり、その『根源的な力』が異変の原因かもしれないということですか?」

 エレナが小さく息をつき、慎重に口を開く。

「恐らくな」

 クラウディアは一瞬黙った後、ゆっくりと頷いた。

「私たちはそれを見つけます。森の声を聞き、その答えを必ず探し出してみせます」

 そう言って、リノアはエレナと目を合わせた。

「シオンの死がその始まりなら、お前たちが見つけるしかない。シオンと関係の深い、お前たちなら、きっと遣り遂げることができるだろう。リノア、エレナ、私はお前たちの勇気を信じている」

 クラウディアは微笑みながら二人の決意を受け止めるように言葉を返すと、静かにその場を後にした。クラウディアの背中が霧に溶け、広場の静寂と共に消えていく。

 森の奥から風が吹き抜け、冷たい空気が二人の頬を撫でて行った。まるで森そのものがリノアとエレナの決意を確かめるように。

「根源的なものって何だろう……」

 リノアがふと呟いた。その言葉は空気に溶けるように静かだった。

「森の奥に行ってみようか。シオンの研究所に行けば何か手がかりが見つかるかもしれない」

 エレナは広場の端に目を移した。

 今まで森の奥深くに足を踏み入れることは殆どなかった。森の植物は十分に育っており、森の奥まで入り込む必要はなかったからだ。森の奥に行く人と
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